日本の「光復節」

松木國俊


日本の歴史において、古くは白村江の敗戦、元寇、明治維新、そして日露戦争と大東亜戦争を日本国の存亡にかかわる「国難」であったと多くの人が指摘しています。しかしそれらの外部からの侵略による国難を上回る「国難」がありました。日本民族と日本文化存続の危機、それが「朝鮮の併合」でした。考えても見てください。今現在在日韓国・朝鮮人の数は50万人前後、帰化した人を含めると80万人から100万人程度でしょう。最大に見積もっても日本の人口の0.8%です。しかしその数でさえ日本において「在日問題」がこれほど顕著化しているではありませんか。異民族と同居することがいかに困難なことであるかがよくわかります。ところが在日が7,000万人(現在の南北を合わせた人口)だったらどうなるでしょう。「在日」が日本の人口の35%をしめていたとしたら・・

大東亜戦争後に朝鮮半島を放棄していなかったら、今の日本は計算上からもほぼ間違いなくそうなっているはずです。そして、政界、財界、金融界、労働組合、商業、農業、漁業、林業すべての分野において両民族間の確執が恒常化し、流血に至る惨事も日常的に発生しているに違いありません。これらが日本の経済活動や治安に多大な悪影響を及ぼすこともさることながら、日本国内で両民族の文化が衝突し、朝鮮の「言挙げ文化」によって、二千年に渡って日本民族が磨き上げた日本文化は徹底的に破壊され日本精神の崩壊を招いたであろうことが容易に予想されます。自家中毒した儒教思想によって身内以外への「嘘」は「知略」として肯定され、自己正当化の為にありとあらゆる言辞を用いて相手を非難罵倒し、額に汗して働く者は「下賎な民」としてこれを軽蔑する朝鮮文化の圧倒的攻勢の前に、他人との和を重視し、匠の技を尊敬する日本の美意識はなすすべもなく翻弄され、日本古来の精神は次第に朽ち果てて行き、やがて日本人が日本人でなくなるのです。たった0.8%の在日の人々に押されっぱなしの日本人が35%の在日を押し返せるはずがありません。  

およそ日本の人口の三分の一にもならんとする異民族を一気に抱え込んだ「朝鮮併合」は日本経済に巨大な負担を強い、やがて日本民族と日本文化の滅亡を招くことになるそれこそ最大の「国難」となったのです。

 伊藤博文はそれをよく承知していて、最後まで日韓併合には反対でした。
「異民族を国内に抱え込んではやっかいだ」と事あるごとに言っていました。
 しかし残念ながら当時の朝鮮人は上から下まで自己及び一門の目先の利益のみしか 眼中になく、近代国家を運営するだけの能力が民族として欠如しており、日本の安全の為にも朝鮮がロシア植民地になる前に彼らに手を差し伸べる以外にありませんでした。
 やむを得ず朝鮮を併合した日本は貧しい国家予算の中から毎年20%以上を裂いて、朝鮮での教育制度、経済システム、産業インフラの整備につぎ込み、このため日本人は重税に苦しみました。「朝鮮を植民地として搾取した」と日本の自虐的教科書に書いてありますが、実際には「日本が朝鮮半島に搾取」されたのでした。東西統一後のドイツが旧東独地域への経済支援で、苦境に陥ったといいますが、彼らは所詮同じ民族です。異民族を抱え込んだ日本の物質的、精神的負担とは比べ物にならないでしよう。

 朝鮮を併合した後の日本の涙ぐましい努力は次第に成果をあげて行きました。日本の大阪帝国大学や名古屋帝国大学よりも先に設立された京城帝国大学では、多くの朝鮮人が最高学府の学問を究め、数多くの優秀な弁護士が法曹界に巣立ち、朝鮮人官僚も増え、産業界のいろいろな分野で朝鮮人が活躍を始めると共に、内地の政界にも進出してきました。そして彼等は次第に日本人との完全な平等(内鮮一体化)を実現する力を蓄えて来たのです。創氏改名により朝鮮人でも日本の氏を名乗ることが出来るようになったのも彼等の平等への要求の成果でした。

一体どこの国が植民地の民にこれほどの教育を施すでしょうか。下手に教育すれば自分たちへの抵抗勢力を自分たちで「養成」する結果になるだけです。ところが日本人は朝鮮を植民地ではなく、面倒を見るべき拓殖の地であると考えて教育面でも出来るだけのことをやりました。「性善説」に立って彼等を一人前にしようと一生懸命教育したのです。その結果が逆に日本に上述のような国難をもたすことになるとも思わずに・・
 

 ところが全く「幸運」なことに、日本はすんでのところで朝鮮半島を放棄することが出来ました。大東亜戦争に敗北した結果だったにせよそれ自体は日本にとっての僥倖でした。20世紀初頭のロシアによる亜細亜侵略、それに続くソビエト中共による共産主義の脅威の前にやむを得ず抱え込まざるを得なかった“ 朝鮮 "という大変なお荷物を、昔から馬鹿力ばかりで実は何もわかっていないアメリカのおかげで下ろすことができ、内地に専念できたことが戦後の経済発展に繋がる大きな原因の一つとなりました。
 一方、アジア市場を狙って大東亜戦争へと日本を追い詰めたアメリカは、主目的の中国大陸は共産化して「市場進出」どころではなくなり、あげくの果てに日本に代わって“ 韓国 "を背負って中国や北朝鮮と朝鮮戦争を戦うはめになりました。ここに至ってアメリカは大陸の共産主義に脅かされていた戦前の日本の立場がようやくわかり、戦う相手を間違えたことを悟りましたが後の祭りでした。日本に代わって,亜細亜で反共の戦いを強いられたアメリカはベトナムでも多くの流血を強要された挙句惨敗しました。

 いずれにせよ、もし60年前に朝鮮を放棄できなかったらと思うとゾッとします。在日7,000万人の住む日本はすでに日本ではなくなっていたでしょう。8月15日を韓国人は日本の支配から解放された日「光復節」として祝っていますが、実際には朝鮮というお荷物から解放され、最大の国難を脱した日本が祝うべき「光復節」なのです。  

以上 


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